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  • 綺麗で強いのが好きなのは生物の本能。と同時に…

    綺麗で強いのが好きなのは生物の本能。と同時に…

    猿もライオンも、虫も鳥も魚も、綺麗で強いのが子孫繁栄のために選ばれる。
    生物 ならば必ず、種(しゅ)を残すために、それが生存本能に埋め込まれている。
    だから、我ら人間が、強くて綺麗なものを好むのは、かなり原始的に当然のことと言える。

    綺麗で強いものに憧れ、それを良しとするのは、恥ずかしいことでも反モラルでもなんでもない。
    種の保存のためにあまりにも深く脳幹に埋め込まれている、生存のための本能なのだ。

    では、種の保存に「役立たない」ものは居なくて良いのか?

    そんなことはない。
    さまざまな生物たちが、弱ったもの、困っているものを集団で助ける習性が観察されている。
    ある一人の俺様が特別に生き残るのが自然の法則なのではなく、集団として弱いものも一緒に生き残っていく、つまり集団としての繁栄、それが自然の法則なのだ。

    異質なものの排除についてはどうだろう?

    我らは似たもの同士で集まりたがるが、同じ部族内のみでの生殖が行われて、違う血が入らないと、遺伝情報が寧ろおかしなことになっていくのは良く知られている。いわゆる近親婚だ。それでわかるように、異質なものを受け入れることが、そもそも自然の法則では奨励されているのだ。

    綺麗で強いものに惹かれるのはあたりまえ。
    弱いもの、異質なものを受け入れるのも、実はものすごく必要。

    この両者を常に意識して、どうすれば自分の中でそのバランスをとっていくかを考える。

    それも【Live Interaction】

  • 小説で読むインプロ:仮面の教え3

    小説で読むインプロ:仮面の教え3

    (注:この文章には放送禁止用語が含まれています。敏感な方はご注意ください)

     仮面から逃げるように離れて帰宅するサクルの目の前を、看護師に連れられて身体をかしげて歩く笑顔の若者がぎこちなく横切って行った。サクルはちょっとギョッとして体を固めた。何の危険もないのに。そして、見てはいけないものを見た気がして目を背けた。 

      サクルの通勤路(となるはずの、駅への道)には神経科の病院がある。そこの患者の散歩タイムなのだろう。サクルの中学校はその病院がある丘の麓で、中学校の悪ガキたちはそこを「キチガイ病院」と呼び、弱い同級生がいたりすると「おまえ、キチガイ病院に帰れよ」などと言ってはいじめていたものだ。いま、「キチガイ」という単語は、放送禁止用語になっている。使ってはいけないのだ。英語では、 mad や crazy という単語で、普通に使われている。字幕の翻訳者はどうするのだろう?「あいつ、頭おかしいぜ」とかだろうか。どのような言葉を使おうと、侮蔑のつもりで使えば侮蔑になるし、ただの状態描写のつもりなら、ただの状態描写にすぎなくなる。単語が悪いのではなく、使う人の気持ちのあり方をもっと深く教育すべきなのではないか。

     俺はいまなぜ目を背けたのか?
     なぜ、見てはいけないものを見たような気になったのか?
     それこそただの優越感と、排他主義の元にある考え方なのではないか?

     ジロジロ見るな!と怒鳴られたこともある。確かにそうだろう。その「ジロジロ」の中に、侮蔑の意識が含まれているからだ。いや、侮蔑だけとは限らないな。子供の頃は、同じ人間なのに、「こうであらねばならぬ」という状態から外れている人を見て恐怖を感じた。大人になって、その恐怖が侮蔑に変わるのだ。「自分はああなりたくない」から「自分はそうならなかったぜ」という優越感に変わるのだ。
     しかし、いったいなぜ?
     なぜ人間は、「こうであらねばならぬ状態」を断固として守ろうとするのだろう。
     なぜ、いわゆる「通常」とは異なる人をこんなにも敵視・侮辱するのだろう。 そしてなぜ、その人たちを、逆に特別視しないがために、見ないふりをするのだろう?

     不気味に見える仮面、奇妙に見える仮面の動き、そして神経病棟の純粋無垢な笑顔の若者と壊れた機械のような歩行、それらが大きなイメージの波となってサクルの頭に問いかけの種を植えた。

    【Live Interaction】
    言葉は態度で内容が決まる。字面も大切だけど、根本はそこじゃないんだ。

    この散文は、インプロとコーチングの神さまのような人、キース・ジョンストン著『インプロ』の第1章「肢体不自由なものたち」と繋がっています。
    『インプロ』を読んでみたい方、三輪えり花にお気軽にご相談ください。

  • 小説で読むインプロ:仮面の教え2

    小説で読むインプロ:仮面の教え2

     妙な仮面に出会ってから数日間、サクルは考えていた。あって然るべきものとはなんだ? 本来あるものとはなんだ? 俺は今まで見てきたものはあって然るべきものだったのか? つまり本来あるものを見てこなかったというのか?

     頭の中がぐるぐるするまま、サクルの足は再びあの公園のベンチに向かった。 あ、やってる。大道芸人たちだ。妙な声で喚いたり、飛んだり跳ねたりしている。チェ、ただの馬鹿騒ぎじゃないか。

     だがベンチに座ったまま見ていると、彼らはどうもただ大騒ぎしているだけではないようだった。たまにポツンと動きが止まるときもある。妙に寂しげに見える時もある。かと思うと子供のように無邪気に太陽を見上げたりする。花の匂いを嗅いで幸せそうにくつろいでいるやつもいる。

     あの仮面たちは、心に浮かんだままを自然に行動しているみたい。今まで、太陽を見上げるだけなんて、したことなかったな。花の匂いを嗅いであんな顔をしたことなかったな。いや、あるぞ、子供の頃だ、たぶん。どうして、やらなくなったんだろう。だって思い付いたままの行動は、なんだかガキっぽいし、学校や先生や親たちからは、ちゃんと考えてから、然るべき行動をとりなさい、と教わってきた。

     ちゃんと考えてから、然るべき行動を取りなさい?

     そうか、ひらめきのままに動いちゃダメだ、と教わってきたんだな、これまで。サクルは初めて気がついた。自分は、思い付いたままの生の気持ちやアイディアを、抑えこんで外に出ないようにしてきた、つまり、見ないようにしてきたんだ。そりゃ面接で線一本書けるはずないよな。気づくと仮面たちが一斉にこっちを見ていた。サクルは慌てて立ち上がり、ベンチを後にした。

    【Live Interaction】
    サクルが気がついたのは「普通の教育は思いつき(ひらめき)を抑えるように仕向けられる」こと。これを逆にひらめきのままに行動するよう促す方向へ教育の舵を切ったのが、『インプロ』の筆者キース・ジョンストンでした。(このくだりは本書14ページにあります。)それは1950年代のことでしたが、当時は非常に革命的なことだったのです。ひらめきのままに生徒を行動させるのは、教師にとっても自殺行為であることは昔も今も変わりません。なにしろ「統率」という概念を捨てなくてはならないわけですから。キースのようにひらめきを発展させるには、『インプロ』をぜひお読みください。人生を豊かにする魔法の書『インプロ』が欲しい方は三輪えり花まで。消費税分は無料でお届けします。メルマガでこの記事を受け取っている方はそのまま返信。ブログでご覧の方は、コンタクトフォームからお申込みください。

  • 小説で読むインプロの生き方:仮面の教え1

    小説で読むインプロの生き方:仮面の教え1

     「では、何かここで描いてみてください」
     今日はコマーシャル制作会社の面接なのだ。
     良い大学に入って良い会社に入りなさい。親にも先生にもそう言われて育ってきたサクルはがんばってきた。言われた通りに勉強し、成績は常に上位10名に入ってきた。大学入試は一度失敗したが、良い大学に入って良い会社に入るのだと思い、たくさん勉強した。

     ただ、サクルにも夢があった。
     何か絵とか映画とか、作れる人になりたいな。
     小さい頃は絵を描くのも好きだった。でも何か描くたびに親も友達も笑った。
    「何それ、変なの」
    「ちょっと、なんでそんなに下手なの?」
    「これキモいよ〜」
    「もうちょっとここに影をつけて」
    「それじゃ影つけすぎでしょ」
    「もっとこうして、もっとああして」

     もうどうしていいかわからなかった。自分には才能がないし、想像力も創造性もないんだ。それだけはわかった。絵を描いたりするのをやめた。
     勉強だけは、批判されなかったし、やったことはやった分だけ正当に点数として評価されるので安心だ。浪人時代にもたくさんのハウトゥを学んだ。国語も文章を書くというより、「正しい意味を選べ」式な選択問題ばかりなので大丈夫だ。それに文章を書く時も、てにをはを間違えず、起承転結に従って、最後に道徳的な教訓を知った、などと入れれば点数が高くなるというハウトゥを学べたので、いわゆる大学入試の小論文もお手のものとなった。こうして苦労して、有名難関大学に入ったのだ。良い会社に入りたい。そうしたらきっと何か良いことがあるに違いない。

     「では、何かここで描いてみてください」
     今日は業界最大手のコマーシャル制作会社の面接なのだ。
     何か絵とか映画とか、作れる人になりたい。良い会社とは、有名な会社、有名な会社とは、売れている会社、稼いでいる会社、そう、コマーシャル制作会社。そこなら何か絵とか映画とかに関わる仕事もできそうだ。良い会社だということで親にも先生にも認められる。サクルの夢も、親や先生に批判されずに叶えられるかもしれない。サクルは緊張してペンを握った。描くぞ、と思った。ワクワクした。円から始めようか、いや円が歪んだら落とされるかも。四角を描こうか、いや四角四面でクリエイティブな人間ではないと思われるかもしれない。数学のグラフなら得意なんだが、きっとそれもクリエイティブじゃないからダメだ。木は? いやきっとデッサンができないからだめだ。犬は? 子供っぽい、却下。人間は? 無理無理。この会社のロゴはどうだ? いや、媚を売っていると思われる。だめ。
     ついに、サクルのペンからはひとつの点も、1本の線も、出てこなかった。

     落胆して帰路に着くサクルは、公園のベンチに腰を降ろした。俺はなんてダメなんだ。結局夢は夢か。そういえば、夜眠っている時に見る夢も「夢」。叶えたいことも「夢」と呼ぶのは、それが絶対にできないから、絶対に実現しないから、なんだろうな。英語でも同じように使うよな。全世界、同じなんだろうか。 そんなことをぼんやり考えていると、足元にカラフルな球が転がってきた。気づくと明るい音楽と笑い声が聞こえてきて、ピエロが一人、その球を拾いにやってきた。ピエロ、というより仮面だ。サクルの知っているピエロは、ハンバーガー屋の軒先に座っている人形のキャラクターのように赤い縮れ髪で白い白粉をべったりと塗っていて、分厚い真っ赤な唇を無理やり笑わせて赤い丸い鼻をつけているやつだが、こいつは違う。子供が作ったような幼稚な仮面をつけている。そいつは球を拾うとサクルにそれを差し出した。サクルが身振りで、いらないとすると、そいつは驚いて球を引っ込めた。が、またそれを差し出した。まるでとても美味しいものをどうぞ、と言わんばかりに。サクルが受け取ろうとすると、そいつは今度はそれを引っ込めた。なんだよ。どっちなんだよ。そいつはカラカラと、人生が吹っ飛ぶような明るい笑い声をあげて、サクルの隣に座った。 
    「あって然るべきものだけを見ている人には、本来あるものが見えてこない」
    仮面はそれだけ真面目な声で言ったかと思うとまたカラカラと笑って踊りながら去っていった。

    【Live Interaction】
    仮面が言った言葉はキース・ジョンストンの『インプロ』13ページにあります。人生を豊かにする魔法の書『インプロ』が欲しい方は三輪えり花まで。消費税分は無料でお届けします。メルマガでこの記事を受け取っている方はそのまま返信。ブログでご覧の方は、コンタクトフォームからお申込みください。

  • たった2週間で身体能力が驚くほど上がった、嘘のようなホントの話:完結編

    こんにちは。
    国際ライブインタラクション研究所の所長、三輪えり花です。
    2週間で驚くほど身体能力が上がった話を三回の連載でお届けしています。
    この連載はじめ
    この連載中編
    この連載完結編

    アレクサンダー本人直伝の先生に習ったアレクサンダー・テクニックで、わたしの何が変わったのか。

    こう見えて、私は物凄い運動音痴で・・・

    ええ、本当にです。

    体育は5段階評価の1。
    筆記試験が良かったので、成績表は3で済みましたが・・・

    近所のラジオ体操に行っても、母にさえ「変なのー」と笑われるくらい。

    ドッヂボールは一番最初に当てられるし、
    バスケットボールは顔で受けて鼻を折るし、
    かけっこは、もさもさどさどさ、と常にビリ。

    ダンスの振り付けなども全く入ってこない。
    右と左がわからなくなってしまう。
    リズム感がない。
    まったくついていけない。

    基本的な体力もなく、1週間の半分くらいは具合が悪くなって保健室で横になっていました。

    食も細くて、給食は三分の1くらいしか食べられません。
    たとえ大好きなアイスクリームも、一口か二口で、もう食べられなくなってしまうのです。

    走る、ボール、動く、全部だめ。
    そしてすぐにヘタれる。

    クラスの競技大会は私が足を引っ張るので、そりゃ嫌われるわけですよね。

    こんなわけですから、私は動く活動はできないと思っていました。

    それが・・・

    イラン・レイシェルのアレクサンダー・テクニックを受け、彼の身体訓練の授業を通訳しながら、一緒に動いてみながらの2週間は、あっという間でした。

    そして秋が来て、9月の演劇学校の授業が始まり、わたしはクラスで教え始めて、自分の感覚がガラリと変わっているのに気がつきました。

    !!!!
    思った通りに、体が動く・・・
    !!!!

    びっくりマークが止まりません。

    なんかね、脳内神経と、身体の筋肉が、つながった!という感じなのです。

    これは、できる人にはわからない感覚だろうと思います。
    あと、そうなったことがない人にもわからないと思います。

    が、
    ほんとうにそんな感じ。

    たとえば、ボールゲーム。

    室内を走りながらボールを次々に渡していくゲームで、そこにセリフを加えたりして相手とのライブインタラクション能力を培うものです。

    このボールが、受け取れるようになっていました。

    つまり、ボールの軌跡を受け取る時まで見ていられるようになっていたわけです。
    速さを測り、ジャンプしてとるか下で受けるか、などを瞬時に判断してそちらへ体が動くようになっていたわけです。

    それから、狙ったところに投げられるようになっていました。

    つまり、ボールの軌跡と強さを瞬時に脳内で計算して、指と手首をどこに向ければ意図する方向へいくかも瞬時に調整できるようになっていたのです。

    なんか、もう、すごくないですか?

    闇雲に特訓したのではなく、動きながら通訳していただけですよ。

    これも最初の1週間で静かにゆっくりと自分の体の部分部分に意識を向けたことと、そのあとで、アレクサンダー・テクニックの基本のいくつかを毎日繰り返し、仕組みを理解していくことで、できるようになっていたのです。

    本当に驚きです。

    閉じていた受信装置と発信装置が一気に動き出したよう。
    わたしの人生はここで、本当の意味で始まったと言える。

    私は、そう思います。

    あなたは、ご自分の身体能力について、どんな気持ちを持っていますか?

    【遊び心でライブインタラクション】
    なにか身体運動をしてみよう。
    お手玉でも、テニスの壁打ちでも。