トロイ戦争とは

トロイ戦争ってなに?

トロイ、なに?食べられるの?

え、国?世界の国リストに載ってないけど。

そうなんです!
トロイは3000年前の古代ギリシャの詩人ホメロスが書いた叙事詩『イリアス』に登場する伝説の国。ギリシャの神々の仲違いによって滅亡したと書かれています。

ところが19世紀のドイツの若者シュリーマン君は子供の頃にこれを読んで感動し、この話は絶対にどこかに存在したリアルな国のことに違いないと信じてギリシャ語トルコ語の会得その他諸々大変な勉強を重ねて探検家となり、まぁ今ならちょっと問題になりそうな微妙な方法で資金を貯め、『イリアス』片手に遠路ギリシャへと出かけ、遂にそれらしき遺跡を発掘することに成功したのです!


で、どこにあったの?

「ギリシャ」は、現代ではヨーロッパ大陸の南にぶら下がる半島部分の国のことですが、かつては地中海を中心に、その周辺エリアの「ギリシャ文明圏」全体を指していました。地中海を中心に置いて地図を見てみるとよくわかると思います。陸から海を見るのではなく、海から陸を見るのです。

地中海の北に今のギリシャ、東に今のトルコ、南に今のエジプト、西に今のスペインからモロッコに至るまでが含まれます。トルコはアジア大陸の西の端に当たり、メソポタミア文明の西端にも当たります。

シルクロードはイスタンブールまで来ていますから、今のトルコに当たるところは、ギリシャ文明圏と、それよりも遥かに古いメソポタミア文明圏との混ざり合った場所なのです。さらによくこの地中海中心地図を見てみましょう。海に沿って北上すると、なんと!今も今、悲惨な戦争真っ只中のクリミア半島があります!ロシアがクリミアを手に入れたい理由は、地中海への通路を確保したいからですね。地中海への入口には今のイスタンブールがあります。イスタンブールは、あらゆる文明の要素が港を通じて交流する場所であることがよくわかります。ついでに、なぜ今、ロシアはトルコとは仲良くしておこうとしているのか、その理由も見えてきますね。

シュリーマンは、トロイはイスタンブールの近くではないかと睨み、その予想は的中しました。トロイであろうと思われる遺跡はイスタンブールから海岸沿いに南へバスで半日ほど下ったところにあります。

トロイ戦争が起きるまではどんな世界だったの?

ギリシャ文明圏とは、現代の私たちが便宜上名づけているだけで、古代ギリシャ人たちは「ギリシャ」という単語さえ使わず、その地域を「ヘラス」と呼んでいました。ヘラスには、たくさんの小さな独立王権国家があり、所謂「群雄割拠」もしくは小競り合いの状態でした。トロイ戦争より前は、ヨーロッパ大陸側にあるヘラス諸国のどこよりも、アジア大陸側にあるトロイが地中海のトップに君臨する強大な王国だったと考えられます。

フランスの劇作家ジャン・ジロドゥの戯曲『トロイ戦争は起こらない』は、トロイ戦争が起きる日のことを描いているのですが、そこには、英雄ヘクトル(フランス語読み エクトル)の言う、自分はアジアを平定してきた、という台詞があるんですよ。小国同士がワイワイやっていたヘラスに対して、トロイは、アフガニスタンあたりまでの全域を手中にして他のではないでしょうか。略奪だけではなく、平定した国々や通商路の確保、整備をし、そのおかげで豊かな農産物・海産物の生産と貿易の両方で富みに富み、溢れんばかりの金銀財宝がトロイに集まってくる。その城の中で、戦いに出ていない人々つまり戦えない老人や病人、子供と女たちは、どれほどどっしりと着飾り、華やかに富と栄華を謳歌していたことでしょう。文明の中心、経済の中心、商業の中心、政治の中心は、トロイ戦争の前までは、トロイにあったと考えられます。

トロイ戦争はなんでそんなに有名なの?

神話だと思われていたものが、実在したとなった世界的なニュースがトロイを有名にしたのは言うまでもありません。が、シュリーマンが感動するほどの物語としてそれを書き残した古代ギリシャのホメロスが、そもそもトロイ戦争を題材に選ばなければ、シュリーマンの発掘にも結びつかなかったわけです。ということは、トロイ戦争は、ホメロスが超大作『イリアス』の題材に選びたくなるほど、古代ギリシャで語り継がれてきたものすごい戦争だったということではないでしょうか。

ではなぜ古代ギリシャ人たちはトロイ戦争を語り継いで来たのでしょう。トロイ戦争の前まではヘラスは小王国の群雄割拠状態だったことを思い出してください。トロイ戦争の発端は、大国トロイが、小国スパルタの王妃ヘレネを誘拐したことから始まりました。ヘレネは大変な美女だったので、ヘラス中の王たちが妻に迎えたがりました。そこで、ヘレネが誰と結婚しようとも、その結婚相手が危機に陥った際にはみんなで一緒に彼を助ける、という約束を小王国の王族同士で交わしました。だから、ヘレネがスパルタから攫われた時、ヘラス中の小国が初めて一致団結して大連合軍を結成したのです。

国同士が一致団結するのは、現代世界を見ても大変難しいことはわかりますよね。そう、すごいことだったのです! そしてヘラス連合軍はトロイを滅ぼし、地中海の主権はヘラスの中でも、ヘレネを奪われたスパルタ国に移りました。ね、ヘラス中の国が一致団結して主権を、アジア大陸にあるトロイから、ヨーロッパ大陸にあるヘラスのものとした、そこから今の現代文明の流れが確定しました。現代の彫刻も数学も天文学も建築も演劇もスポーツもそして民主主義の考え方でさえ、古代ギリシャ発ですからね。ギリシャ文明はローマ(イタリア)に受け継がれ、紀元前1世紀にジュリアス・シーザーのヨーロッパ遠征でローマ文化がフランス、ドイツ、スペイン、はるかイギリスまで届き、16世紀ごろにスペインやイギリスが花開いた文化をアメリカ大陸に広めた、そして今、日本でそのアメリカ文化を享受している・・・この流れはどれもつながっているのです。その発端がトロイ戦争にあると思うと、どれだけすごい大事件だったか、これでわかって頂けたでしょうか。

トロイはスパルタ一国になら、苦もなく勝てたでしょう。が、ヘラス連合軍はトロイを絶滅させました。ただ一人アエネイスが逃亡し、ローマを建国したという伝説がありますが、トロイ側が書いたトロイの記録はどこにも残っていません。いま、私たちが読めるのは、ギリシャ側のホメロスの手に依るものだけです。因みにシュリーマン が掘り返した地層は、トロイに存在してきた歴代の城壁層の中でもトロイ戦争時代よりも更に古いものだそうで、現代考古学では、滅亡したトロイはそれよりも上の層にあったとわかっています。が、シュリーマンが上の方の層は保存せずにひたすら破壊して進んだため、肝心の滅亡時のトロイ遺跡部分はかなり破損してしまい、研究が進まない状態だそうです。残念!

トロイ戦争前のトロイはどんなところだったの?

トロイ遺跡が発掘された場所の項目でも述べた通り、トロイはアジア大陸の西端にあり、そこは豊かな地中海(地中海もそのエリアに依って各名称があり、この辺りは特にエーゲ海と呼ばれます)に面しています。都市の東には肥沃な平原や山々を抱える一大農業生産地があります(現在でも)。前述『トロイ戦争は起こらない』にも、ヘラス連合軍側の交渉大将オデュッセウスが、野菜と小麦と黄金を有り余るほど持つのは危険だ、と言っています。一方、スパルタのあるペロポネソス半島はじめヘラスは乾燥した大理石の大地で、農産物はあまり豊かではないのです。海産物は豊富ですが、陸地はオリーブと羊に頼る、豊かとは言えないエリアです。ヘラス諸国が大連合軍を組んでトロイ陥落または略奪を狙うのは頷けます。

トロイ戦争時のトロイ側の王室は子だくさん!

トロイ戦争前の、栄華を極めていたトロイを治めていたのはプリアモス(フランス語読み プリアム)。何十年にも亘り戦に戦を重ね、勝ち続けてきた歴戦の勇士です。生命力の強さはものすごく、彼の子供は娘18人、息子68人ほどもいたと言われています。息子たちは数多くの戦で次々に戦死。戦で子供が死ぬ悲しみを覆い隠すかの如く、次の子供の生産に励んだ気持ちが読み取れます。正式な妻は二人で、トロイ戦争の時期の妻ヘカベは、二人目のひとです。ヘカベ自身、トロイ戦争前夜までに19人の子供をもうけています。中でも有名なのは、最年長のヘクトル、預言者カサンドラ、美男子パリス、太陽神アポロンの息子とも噂されるトロイロス、最年少の娘ポリクセヌなどがいます。彼ら全員がトロイ戦争で、また、戦後の捕虜の身で惨殺されたりして死んでしまいます。壮絶ですね。

で、トロイ戦争はなぜ起きたの?

よろしいですか、トロイ戦争に関しては、ギリシャ側の書き手による情報しかありません。『トロイ戦争は起こらない』にも、ヘクトルが「ギリシャ人は、肥沃なトロイを攻撃するために、神々との恋物語をでっち上げて自分たちの行いを正当化するだろう」と言います。ヘレナ自身も「この時代の人たちがそれはこうだった、と見方を主張すれば、それが本当のこととして語り継がれる」と言います。この辺りは第一次世界大戦で従軍して地獄を見てきたジャン・ジロドゥの実感でしょう。事実は、勝者に都合よく書き換えられる、と。ですから、トロイ戦争の発端は、ヘラス諸国がトロイを滅ぼしてトロイの富を自分たちのものにしたかったから何かと口実をつけて攻撃した、というあたりがおそらく真実でしょう。では、ヘラス側が、攻撃を正当化するために神話と結びつけた、それをご紹介します。

ゼウスの策略

ギリシャの神々のボスであるゼウスは、人間が地上に増えすぎたので、戦争で人口を半分にすることを思いつきました。(はい、マーベルユニバースのサノスみたいですね。)その方法として、ゼウスは神々を仲違いさせることにします。ある神の結婚式に、ゼウスは戦の神を招待させないように計らいます。戦の神は腹を立てて、その結婚式に「最も美しい女神へ」と、林檎を投げ込みました。そこにいた女神の中でもプライドの高い3人がその林檎は自分のもの、自分こそが最も美しいと言って聞きません。その3人とは、結婚と母性の神ヘラ、知恵と芸術の神アテナ、と、愛と美の神アフロディテ。彼らに任せていてもにっちもさっちもいかない、と、ゼウスは美の審判を美しい羊飼いパリスに委ねることを提案します。

でも、それがどうして戦争に繋がるの?

パリスという男

パリスは、そもそもトロイの王子として産まれました。ヘカベはこの子を出産するときに、この子がトロイを滅ぼすと預言されました。父プリアモスはこの子を殺すことを命じます。が、心優しい部下はこの乳飲み子を自分の手で殺すことができず、ヘラスの山に置き去りにしました。(はい、ギリシャ悲劇オイディプスの話とそっくりですね。)この子は美しく光り輝いていたので羊飼いに拾われ、パリスと名付けられて元気に明るく成長しました。今日も今日とて羊を山へ連れていき、自分はのんびり昼寝をしていたところ、ゼウスが3人の女神を引き連れて御降臨。びっくりです。そしてこの3人のうち誰が一番美しいか選べと命じられます。女神たちはこっそり彼を買収しようとします。ヘラは誰よりも高く君臨する力を、アテナは誰よりも勇ましく強い力を、アフロディテは世界一の美女を与える、と。さて、もしあなたが、自分は王族とは知らず、のんびり昼寝をして長閑に暮らしたいなら? はい、パリスも同じです。権力も武力も要りません。選択に迷いはありません。美女です!

パリスは林檎をアフロディテに与えました。これが、「パリスの審判」と世に言われている逸話です。

りんごをもらったアフロディテは、世界一の美女ヘレネをあげよう、と言うのですが、彼女はスパルタのメネラオス王のお妃です。いくらなんでも羊飼いと王妃では、出会う接点さえありません。そこでゼウスは打ち明けます、お前は実はトロイの王子なのだ、と。え、二度びっくり!一旦国へ帰り、王子として時期を待て、と。

パリスは見知らぬ生まれ故郷トロイへ船で帰ります。ちなみに、羊飼い時代にかれは結婚していたので、妻も一緒にトロイへ。

迎えた母ヘカベの喜びようは想像にあまりあります。この子を二度と手放すまい、国が滅びようと構うものかとの思いさえあったことでしょう。父王プリアモスももう反対しません。預言は間違っていたのだと信じたのかもしれません。

そして待ちに待った好機到来。パリスはプリアモス王にスパルタ出張を命じられたのです。王子としてスパルタの城を正式に訪問したパリス王子は、メネラオス王の横に座すヘレネ王妃と初めて出会います。アフロディテの恋の矢に射抜かれたヘレネはパリスと恋に落ち、二人は駆け落ちします。双方ともに伴侶がある身でのダブル不倫。パリスは大変に美しい青年として描写されていますから、アフロディテの恋の矢がなくてもヘレネは恋に落ちたかもしれませんね。そして、上述したように、「ヘレネの結婚相手が危機に陥った際にはみんなで一緒に彼を助ける」という約束のもと、ヘラス中の国々が一致団結してトロイに攻め入り、戦争になったというわけです。文明を一つ滅ぼして、「いやこれ神様の仕業なんで」と言いたい勝者の気持ち。もしかしたら、ヘレネを攫うようパリスに仕向けて、トロイ攻撃の口実に仕立てた可能性だってありますよね。歴史は常に勝者の目で、勝者を正当化するために描かれる。敗者の目で眺めてみるのも一興です。

トロイ戦争の中身

ギリシャ側のホメロスの記した『イリアス』によれば、戦争は10年続いたと書かれていながら、最後の数ヶ月のことを描いているだけで、この10年の戦がどんなものだったか、詳しいことはわかっていません。トロイ戦争に関することは古代ギリシャの詩人や歴史家が書き残した英雄譚や戯曲から、ギリシャ人側の目線でのことはおおよそわかるのですが、トロイ側からの資料がないので、実際の姿については、想像するしかないのです。ホメロスの筆は、ヘラス連合軍はトロイの浜辺に陣取り、戦争勃発の日から大変に優勢で強かった、としていますが、勝者の目というフィルターがかかっています。攻め込んだ戦が10年も勝負がつかないということは、トロイが強かったことの証明に他なりません。一方で、出張状態なのに決して敗北はしなかった、浜辺の陣地を退却しなかったことを思うと、ヘラス連合軍もまた根性があったのは確かです。連合軍ですからね。

トロイの木馬

さて10年も攻防が続いても、トロイの素晴らしい城壁は全く落ちそうにない。あの城壁の中に入れれば望みはある。だが、とてもじゃないが近づくことさえできない堅牢さ。そこでヘラス連合軍の大将オデュッセウスはある策略を講じます。浜の陣地を引き上げて、ついにヘラス連合軍は諦めた、とみせかける。そこに、巨大な木馬を神への捧げ物のていで置いていく。馬が大好きなトロイ人は(ギリシャ人も馬は好きです、大事にします)きっとこの木馬を城内に引き入れるに違いない。その木馬の腹の中には大勢のヘラス兵を忍び込ませておく。勝利を信じたトロイ人は大宴会を開くだろう。もう戦う必要がないと信じた軍人たちもぐでんぐでんに酔っ払うだろう。泥酔した寝込んだそのとき、木馬の腹から這い出して、城門を内側から開けろ。港の裏でこっそり待機していたヘラス連合軍が一気に攻め入り、女の横で素っ裸で涎を垂らして寝こんでいるトロイ人たちを片っ端から切り裂いてくれる。そして城に火を放つ。

預言者カサンドラは、がらんとした浜辺に取り残されている木馬を見た時、これのせいでトロイは滅亡すると預言します。が、カサンドラには「預言を誰にも信じてもらえない」という呪いを、太陽神アポロンにかけられていまして、そのために誰もカサンドラのこの預言を聞いてくれないのです。ちなみにアポロンがなぜカサンドラにそんな呪いをかけたかというと、カサンドラに恋をしてフラれたその腹いせに、です。ええ、フラれた男の陰湿な仕返し、太陽神のすることとは思えません。なんなの、男って!と腹も立てたくなる逸話でした。

こうしてオデュッセウスの目論み通りにことは進み、トロイは陥落しました。ヘクトルもパリスもトロイロスも、これまでの10年の間に殺されており、この陥落の日に城内で殺された有名人は、プリアモス王のみ。女たち(カサンドラ、ヘカベ、ポリクセヌ、アンドロマックらとその侍女たち)は捕虜もしくは戦利品としてギリシャへ送られ王族の奴隷にさせられます。古代ギリシャの劇作家エウリピデスの戯曲『トロイアの女たち』によると、カサンドラはアガメムノンの、アンドロマクはプリアモスを殺害したネオプトレモスの、ヘカベはオデュッセウスの元へ送られます。その屈辱を思うと涙が出ます。この戯曲はキャサリン・ヘップバーンがヘカベを演じて1971年に映画化されました。

ちなみに、これは三輪えり花の想像ですが、城壁を壊すための投石機が木馬のような形をしていて、愛称として「木馬」と呼んでいたのではないかしら。だとしたら浜に残してあっても違和感はないし、武器として持ち帰りたくもなるのでは。

トロイ遺跡を見てみよう

この記事を執筆している三輪えり花、2005年に『つづきゆくものがたり〜千とひとつの夜を超えて』という、アラビアンナイトを題材にしたミュージカルを創作、製作、演出、出演した関係で、アラビア的な文化を見に行きたいな、と公演直後の12月末、トルコに行ってきました。その際、イスタンブールからバスで5時間かけてトロイ遺跡を訪ねた、そのときのお写真をお見せしますね。

シェイクスピアに出てくるトロイ戦争の例

シェイクスピアは『トロイラスとクレシダ』という戯曲で、トロイラスの恋と悲劇を描いています。が、タイトルになっていなくても、トロイ戦争がらみの遊びをちょこちょこといろいろな戯曲に入れています。例えば・・・

『夏の夜の夢』の主人公のひとりは「ヘレナ」というもてない女の子が自分は醜いからクマも逃げ出す、とぼやいているところ、目に魔法をかけられた青年が「おお、ヘレン、トーラスの高嶺に降る雪よりも白いその手!」と呼びかける場面があります。魔法をかけられた青年の目にはヘレナが絶世の美女ヘレンの生まれ変わりと写ったのです。トーラスはトルコにある山脈のことで夏でも雪を被っています。トロスとも呼ばれ・・・はい、そうです、トロイという地名の由来にもなっています。

『ハムレット』では、旅芸人の一座がやってきたとき、ハムレットに頼まれ、トロイ陥落の様子を詠唱する場面があります。真夜中に奇襲を受けたトロイの城が炎に包まれ、天守が轟音を上げて崩れ落ち、ヘカベが逃げ惑うその目の前で、夫プリアモスがギリシャ軍の武将に惨殺される。それを見たヘカベの上げた絶望の叫び声が描写されます。

演劇や映画を観る際、演じる際、上演する際に、役に立ちそうなことをまとめました。ほかにも知りたいことがあれば、お気軽に質問してくださいな。

文責:三輪えり花



Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA